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『塩の道』で『敵に塩をおくる』  塩が届いた日が1月11日だったんです。

本日、1月11日は、一般的に鏡開きを行う日とされていますが、ここ糸魚川ではその他に『塩の道』のお話に、この1月11日という日付が出てきます。
そのお話が、、、

むかしむかし、風林火山で有名な戦国時代の名将、武田信玄が甲斐(かい)の国を治めていた頃、信玄は宿敵の越後の上杉謙信と戦を繰り返していました。
そんなある時、駿河(するが)の今川氏は、こんな事を思いつきました。
 「信玄の領地は山国だから、魚や昆布や塩などはすべて駿河を通って送り込まれる。特に、米の次に大事な塩を止めたら困るだろうな」
 そう考えた今川氏は、さっそく信玄の支配下に通じる道をふさいで、いっさいの塩を止めてしまったのです。
 こうなると松本の人々は、ほとほと困ってしまいました。
 塩がなくなると体に力が入らず、働く気力もなくなるのです。
 おまけに越後の国とも戦をしていたので、そっちから塩を送ってもらうわけにもいきません。
 これにはさすがの信玄も、困ってしまいました。
 ところがこの事を、越後の上杉謙信が聞きつけたのです。
 謙信は信玄とは敵同志でしたが、今川氏のやり方が卑怯なのに腹を立てました。
 「塩とは、人が生きていくのになくてはならない物。たとえ敵とはいえ、これを見すごす事は武士の恥。すぐにも松本に塩を送り届けよ」
 こうして謙信の命令で塩の荷が牛の背に積まれると、信濃にむけて出発したのです。
 牛の列は何日も何日も糸魚川(いといがわ)をたどって、松本めざして歩き続けました。
 それから数日後、松本の人々は、次から次へとやってくる牛の列を見つけたのです。
 それが、敵の上杉謙信の使いだと知ると、みんなは警戒しましたが、塩が届けられたと知ると、
 「なんと、敵国である我々に塩を送ってくれるとは。越後の上杉さまは、敵ながら立派なお方じゃ」
と、とても感謝したそうです。
 こんなわけで、松本の人々は再び元気を取り戻しました。

 松本に塩が届いたのは1月11日で、人々はその時の恩を忘れないように、それ以来、毎年この日には祭りを行うようになったのです。
 これが何百年も続けられた「塩市」の始まりです。
 今では、その塩市も飴市に変わって、1月11日には、賑やかに祭りが開かれるのそうです。
 また、塩を運んできた牛がつながれたという石が今も松本市に残っており、土地の人からは『牛つなぎ石』と呼ばれているそうです。(『福娘童話集 今日のにほん民話』からの抜粋です)

この『敵に塩をおくる』という美談で知られる、越後の上杉謙信が甲斐の武田信玄に、牛馬の隊列を整えて塩をおくったというのもこの街道が『千国街道』であり、『塩の道』です。
信州と越後を結ぶ動脈として塩・麻など海陸の物資が運ばれ、新道の整備される明治20年前後までは経済路線としての重要な役割を果たしており、荷物の輸送は、すべて牛馬とボッカによるものであったそうです。
この千国街道は安曇野の豊かな田園地帯を貫き、仁科三湖を巡り、北アルプスを仰ぎ、渓谷に沿うなど、稀に見る美しい風光の地を辿っているが、この地域は豪雪地帯である上に険路が多く、物資の輸送は難渋を極めたそうですが、今では、民俗・自然・石仏の宝庫として、歩く人々に深い郷愁を誘う道となっています。
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春には、この千国街道をトレッキングする方も多くいらっしゃるようで、ゴールデンウィークには、『塩の道まつり』も模様されています。塩の道にちなんだトレッキングコースがあるみたいですね。
そして、新潟の春の見どころと言えば、日本三大夜桜の一つ高田公園のお花見、イチゴ狩りや山開き、春を告げる花たち(雪割草、雪椿、水芭蕉、カタクリ、チューリップ)。雪解けから、春の息吹を感じられ、身も心もなんだかウキウキする季節ですよね♪
糸魚川温泉 ホテル國富アネックスの開放的な露天風呂で旅の疲れを癒していただきつつ、地元五蔵の地酒と春の味覚を是非ご堪能ください。

1月11日、鏡開きについては、
正月に年神様に供えた鏡餅を一家円満を願いながらお雑煮やお汁粉にして食べる日です。
鏡餅の名前は、日本に伝わる三つの宝、三種の神器に出てくるカガミの形に似ていることから名付けられ、鏡餅には、宝が家にやって来るようにとの意味が込められているそうです。

そして、『鏡開き』は武家社会の風習だったものが一般化し、刃物で切るのは切腹を連想させるため、手や木鎚で割ったり、砕いたりします。また「切る」という言葉をさけて、「開く」という縁起の良い言葉を使って験を担いだりしています。

その他、鏡開きは地方によって日が違い、京都では4日に、ほかに20日に行う地方もあるそうです。

φ(..)カキカキ K・K


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